ミニレゾのミカタ

『ニートのいずみくん』の日記的なログ

今日でおわって、今日からまた、はじまるんだね。

ものが散らかった部屋を片付けて、ほこりまみれの部屋を掃除した。最近使っていなかったけどとても大切な自分で作った革製のカバンに荷物を詰め込んで家を出た。電車に乗り、バスに乗り、車に乗せてもらって、もうひとつの家に。

家族そろってご飯を食べる。大切な人たちと食卓を囲む。食卓には、自然からいただいた恵が並ぶ。ちゃんと温度があるところが、僕は好きだ。

次の日、家族でつくっている米の脱穀を。めぐみと同じ場所にたった。いなご、バッタ、クモ、ぜんぶ大きい。ストローの入り口から水が入らないようにビニールシートを外して、稲を脱穀機に通していく。米がひとつひとつ袋に入っていく。ああ、これが食卓に並んでいるんだ。今立っているこの大地から僕たちは生かされている。

食堂に行った。そこには、そこに生きている人がまるで同じ場所から生まれたかのように繋がっている感じがした。暖かい汁物、さつまいものレモン煮、レンコンのはさみ揚げ、おいしい時間。

ぐうたらする時間、見つめる時間、触れ合う時間。ちょっと気まずい時間、互いが互いを過ごす時間、そしてまた、ぐうたらして、見つめて、触れ合う。と思ったら、寝てる。雨が降ると動けなくなるという。誤解を恐れずに言えば、ぼくも、そうなりたいと思っている。そうならないと、わからないこともある。もっと知りたいのだ。

ただ、ぼくの脳に納められている記憶装置ははなはだ小さなもの。そこだけはどうかご了承いただきたい。忘れるということではなく、記憶できない・しづらいということの方が近いでしょうか。

何が起こったのかわかりませんでした。旧友と待ち合わせをして、求めてすらいなかったものが巡ってきたのです。リストバンドに書いてあった数字がひとつ違うだけで人の人生というものは違ってくる。この今をどう生きるか、も大事だけれど、そんな風に生きたところで、ほんの小さな偶然だけで変わってしまうほど、人生というのはどうやら確かなものではないようだ。

ぼくは誰かを変えようとしていたのかもしれない。自分があたかも立派なもののように感じていて、進んでいるように感じていて、止まっているように見えたあの人を動かそうとしていた。でもそうではなかった。亀はただまっすぐに進んでいるだけなのだ。ぼくには、亀を変える理由なんてないし、そんなことができる権利だってない。亀の人生は、亀の時間のなかで、亀の足で、亀の感覚でもって、すすんでいるのだ。たとえ、うさぎが先にゆこうとも、途中で寝てしまっていようとも、まるで関係がない。ただ、ただ、すすんでいるのだ。

ただ、それは、ゆっくりなように見えて、亀にとってみればとても大変なことなのだ。全身をかけて、ゆっくりな自分を守るように大きな甲羅を背負って生きている。亀が背負うものを誰も背負って行くことはできないのだ。

ぼくは誰かを変えようとしていた。でもそれは、間違っていた。ぼくは誰かを変えていい人ではなく、ぼくも、ぼく自身も亀となり、ただただすすんでゆけばいいのだ。あの人には、大変に申し訳のないことをした。ぼくにはもう、それを伝えるすべも思いつかない。

手首に、機械を巻きつけて走った。そこにはいろんなことが記録されている。それによれば、ぼくが継続的に走ることができる時間は、せいぜい2分だという。走っている最中、波も荒く、雲もどんよりと空を覆っていた。ハギビスがきた。さあ、支度をしよう。あの人が何も言わずに掃除をはじめた部屋を、ちゃんと掃除しなおして。

ぼくは翌日、ふるさとにかえった。それからたくさんの電車が止まったと聞いた。たくさんの人がいろんな場所で足止めを食らっていた。仕方がない。自分の足も、何かにゆだねて移動しているのだから。それは仕方がない。でも、大変だ。でも、やっぱり少し変だ。

新幹線が水に使ったらしい。街に被害が出たらしい。幾らかの人が死んだらしい。全部、テレビから流れてきた。ぼくは、空の見える部屋で、この記事を書いている。なんの変哲も無い日常が、ここにはあった。

毎日定時に決まった場所へ行って、役割を全うして、決まった場所へ帰る。そんな生活はどこかへ行った。でも、それなのに、6日間も連続で働いてしまった。東京へいく財布の足しにはなるけれど、正直、東京へ行く前に疲れてしまった。久々に、金平糖を食べたけれど、頭が痛くなった。そして、眠くなった。

疲れてしまったにも関わらず、ふんどしを自分で作りたくなってしまったので、手ぬぐいを裁断して材料をとり、ふんどしを作った。ミシンはなく、慣れない手縫いを繰り返して、4時間以上かけて、やっと1本出来上がった。3000円で買ったふんどしがいかに安価なのかを知った。もちろんそちらはミシンで作ってあるけれど。

そういえば、ラグビーの試合を見た。オールブラックスとどこかが戦っていた。黒い服はとても強かった。完成されたチームというのはきっとこういうことなのかも、まるで、漫画を見ているような試合だった。相手チームも頑張った。14点を入れた。とてもすごい。勇気のあるプレーがその点をつくった。すごいことだ。

ラグビーの試合観戦をしたのは、今月のはじめのこと。ふたりで見た。ぼくはコンタクトレンズもとってぼやけた視界で見ていたから、なんのことかわからないこともあったけれど、それでも面白かったし、興奮した。それから何試合もラグビーの試合を見てる。スポーツの試合観戦のためにここまで時間を使ったこともなかったし、面白いとすら思わなかったけれど、スポーツの話題に少しだけ関心が出てきたのは、嬉しい。

今日も、ある。見よう。

母の友達が来た。部屋を猛スピードで片付けている母を手伝う。親と会えるのはあと何回だろうという友人のセリフが脳にリフレインする。料理の盛り付けや配膳もして、お手製のドレッシングまで用意した。素敵な時間を過ごしてくれれば嬉しい。

いつもありがとう。

明日から東京に行く。

色々予定は立てたけれど、ヴァイオレットエヴァーガーデンガリーボーイがどうしてもみたい。あ、NETFLIXに登録すれば、あの作品がまた見れるのか。それはいいな。

 

いろんな作品に触れたい。いろんな世界に触れたい。ぼくはいったいどこへゆく。そんなの知ったことか。とにかく今は今終わり、今、はじまってる。そしていつかぼくは死ぬ。ただそれだけのこと。この与えられた人生の時間に、意味を与える。与えられるのは、その人生を有する自分だけ。

 

自分の人生を、自分らしく、生きてこ。

 

 

 

 

 

ミニレゾ