靄(もや)の中を行くような、どんよりとした日々を抜けて。
今思えば、最近の僕はこんな風な、靄の中を歩いているようでした。とても暗く寒いなかをひとりで歩いていた。
その中には椅子がいくつもあって、どの椅子に座りたいかを選べば、その椅子に定められた道を歩んでいけることも知っていた。それでも靄の中を進むしかなかった。
大切なことを必死こいて目で見ようとして、眼鏡まで新調した。
先の見えない靄の中では、そこにある数限りある情報だけが頼り。命の綱。情報っていうのは、言葉とか態度とか約束とか風景とかそんな色んなこと。靄の中ですすんではいても、そのことを知るのはただひとり、自分だけ。他者は、他者の生きる時間を必死に生きてる。あの人もまた、靄の中を歩くひとりなのかもしれない。
そんな靄の中、声が聞こえる。
色んな人の声だ。素敵だ、かわいい、女の子かな、男の子かな、その眼鏡素敵、まゆげみたい、一方で、自分を揶揄するものもいる。否定する人もいる。否定してきた過去もある。もっと、こんなふうになれと、優しさからなのか、諭してくれる人もいる。心に留めておきますと、約束した。
もしも、そんな言葉や約束が靄となって、僕の視界を奪っていたとしたら、どうだろうか。
僕は本当に、それらを持ち続けていて良いのだろうか。
約束を破るというのは、信頼を失うということと同義にも思える。信頼という言葉の重みは、最近なんとなく感じている。
しかし、その約束のために、それを守るために、その約束を全うするたった1日のために。僕はそこまでの日々をなんと苦しみながら進まなければいけないのだろう。なんて、そんなふうに思うと、やはり捨ててもいい約束や言葉だってあるのかもしれないと、思うのです。
母が昔から常々言っていた言葉が脳裏によぎります。
ない袖は、ふるえない。
自分にはまだ早すぎた約束というものもあるということです。今の自分にできることは、今の自分がもってるものの中においてできるということなのです。世の中には、他者の力を借りるということで自分の力以上のものを作り上げる人もいます。その人には、他者を巻き込む力があった、ふるう袖があったというわけです。
僕は今、どんな道をゆくか分からない中、とても濃い靄の中を歩いています。
でも、やっぱり、この正体はもうわかっているのです。あの約束は、もはや僕の時間を奪うものなのです。進みたい、歩みを進めたい気持ちを削ぐものなのです。だったら、迷わずさよならする。
この4日間の日々を通して、やっと気づいた。自分の想いに従って生きてる人と出会って分かった。あの約束は、僕のしたいことではなかった。間違った選択をしてしまった。そう確信した。
最後まで諦めずに取り組むということの美徳には、とうていほど遠い類の決断。
僕は明日、約束を放棄する。
そしていくつかの椅子を選び、その椅子の運命を少しばかり預かろうと思う。
少しずつ、また、歩んでゆこうと思う。