ミニレゾのミカタ

『ニートのいずみくん』の日記的なログ

堀江貴文「捨て本」を読んで。

次男への誕生日プレゼントに3冊の本を買った。自分にも本を買わないのに…。今、いろんな会社の社長に出会えるような研修に参加していて多様な価値観に触れることにワクワクを感じている彼には、とっておきの3冊を用意した。何を隠そう、そのすべては、僕が読みたいと思っていた本である。

 

その一冊が、堀江貴文「捨て本」。この本のことは知らなかったから、はじめは「多動力」を贈ろうと思っていたのだけれど、『捨てる』という行為が、今の自分にも次男にもとても良いキーワードになってる気がして、この本を選んだ。

 

僕が最近に捨てたもので思いつくのは、仕事とそれに費やす労力や時間。その代わりに、東京でさまざまな文化を体験したり色んな人と出会ったり、パートナーと共に過ごす『時間』を手に入れた。

 

この本で堀江貴文さんが言っているのは、〈時間はいのちであり、限られている〉ということで〈自分自身にほんとうに必要なものが何か〉が分かっていれば〈必要のないモノ・価値観・プライド〉は捨てることになり〈より身軽に生きてゆける〉のだということ。ただし、好奇心は忘れてはいけない。何にもまさる、大切なものだから。

 

はじめて堀江貴文さんの本を読ませていただいたけれど、この本では彼の人生をおおまかに俯瞰してみることができる。章立てて自身の人生を分けて具体的な経験エピソードを交えながら、そこで得た教訓や今ももてる価値観を提示してくれていて、とても分かりやすい。

 

さまざまな発見があるのですが、堀江貴文さんの人生談からは、人間のさまざまな状況の疑似的な体験をさせてもらえました。

 

僕は、金銭的な余裕のなさから、ほしいと思っても買えないので、どーせ買えないなら意味ないからショッピングモール行くのも興味なくなって、そうなると買うっていう行為がないしモノに触れる機会も減って、次第に物欲は無くなっていきました。そのため今ではほとんどモノをもたない生活をしています。

 

たいていの旅行は、ちょうどMAC Book Air 11インチが入る程度のリュックサックひとつで事足ります。先日の東京旅行では土産にマッコリをいただいて、それすらもかばんにすっぽり入れて帰ったほどです。多分これで何日でも行けます。

 

自宅にあるものもだいぶ少なくなりましたが、まだ少しあるので、「捨て本」を読んで改めて、それらもまた捨ててゆこうと思いました。

 

また、住まい自体には今のところ家賃は発生しませんから生活コストは低いのですが、これも手放す道を考えないとなあと思います。低コストで良いけれど、場所に縛られているという感覚がやはり、大きい。ないならないで、なんとかなると思うし、特に問題はない気がしてきた。もう少し考える。

 

そういえばこの本の中に、「恋人は20%くらいで良い」と言ったような表現が出てくる。これはある女性の発言のようだけれど、パートナーとの付き合いは人生の20%程度で良くて、後の80%は自分の時間、自分のためにあっていいんじゃないか。ということ。

パートナーから「いずみくんは50%くらいがちょうどいいよ」と言われて、少しだけしょんぼりしたこともあったけど、むしろ、たしかにそうだよなぁって、この本を読んで腑に落ちました。

 

結婚がとても古い価値・生活様式を守るための制度だということも分かりやすく説明されていて、それもまた「捨て」の対象であるというのも、おもしろかったです。

 

ぼくたちが社会の常識だとか言って思っていることって、すごくふわっとしてて、なんのため?っていうことが曖昧になってる。もしかしたら曖昧なことの方がいいこともあるだろうけど、それでは時間がもったいない気もする。だから、自分はどうしたいか、どんな捨てられない価値をもって生きていくかが分かれば、そういう他人のつくった幻想に付き合う必要はなくなってくるのでしょう。

 

僕たちは限りある時を生きてるから。

 

やりたいことを好奇心をともにしてどんどん行動してやっていく。そうすれば、同じ好奇心を持って行動してる人に出会える。そうやってコミュニティが生まれる。その中でシェアされるモノを享受して、経験することで自分をアップデートしてゆく。そして、それをシェアすることで、また情報は行き交い、アップデートは加速する。それをもとにまた行動する。その中で自分の時間を奪うものは捨てて、自分の時間をつくるものは大切にしてゆく。とはいえ、自分の流れには逆らわず、流されるままにゆく。それでなんとかなる。シェアされるコミュニティの中では、金銭的な余裕がなくても、生きてゆける。スマホ一台あればたいていなことはできる、そんな時代。

 

ぼくは今これをiPhone seで書いていた。僕は、なんとなくぼんやりと、パソコンを手放してしまおうかと考えはじめている。

 

追記2:30

深夜だというのに、父が最近買った最新のApple Watch でカメラのリモート操作で連写している。手元で使えるということが嬉しいようだ。本の中の言葉を借りれば、「獲得」の喜びを味わっている。そのことに気づいた時、僕はとてつもなく自分が持っているApple Watchを手放したくなった。ああ僕もまた獲得欲を満たすために買ったのかなあ…って思ったから。でも、本にはこうも書かれてる。所有するというのは、所有していることで自分にとってプラスに働くものをもつということであり、ほんとうに大切なのは、所有した物をどう使っているかということ。いかに使用しているかが大切なんだよって。倉庫業が流行る時代だけれど、ほんとうに必要なものはしまったまま放ったらかしにしたりしないということね。使えるだけのものでいきてゆこう。

 

 

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