理不尽すぎる修行
とある企業セミナーを録音した音声を聞く機会がありまして、カタカタと任されたデータをつくりながら聞いていたんです。
なにやら発表をしている様子だったのですが、聞けば聞くほど、ここに参加されている人たちは、なんて理不尽な修行の道を選んでしまっているのだろうと、悲しくなったのです。
発表者が発言をしはじめました。
「会社を良くするために、僕は、良い習慣をすることが大事だと思います。」
つづけて、そう考える理由やなんかも、発表者は^_^言葉を尽くして説明をしておりました。
わあ、もう最後の方、なに言ってるか分からなくなっちゃってる…落ち着いて!がんばってくださいー!と、思っていると。
セミナーのトップっぽい人の評価のお言葉が聞こえてきました。
「あなた、社会人何年目?いつまで『僕』なんて言ってんの?そんな会社、いまだにあるんだね。呆れちゃったよ。」
ですって。
社会人の主語は「私」というのが当然のルールなんだという。
挙句、そのことが気になりすぎて、話聞いてなかったというトップ。
私でも僕でもアタシでも、ぜんぶ『 I 』ってことは伝わるはずなのにね。
変わってる。
そんなことで怒るエネルギーを使うのって、もったいないって思わないのかな。
それにしても、言われた方にしてみれば、なんと理不尽な修行なんだろか。
ホセ・ムヒカは大統領でありながらネクタイはしなかったし、ホリエモンもドレスコードをする集まりには絶対出ないし、テンダーはサンダルとTシャツでどこでも行っちゃうし、スティーブ・ジョブズはご存知の通り。
いまだに、古い会社の枠組みに囚われて生きている人から教われることはもうないんだよ。次の時代をみにいこうよ。
自分の意志でそこにいたいなら話は変わるけれど、もしもそうではなく、違和感を感じながらもそこにいるのなら今すぐ立ち去ることをおすすめしたい。
自分に言い聞かせる。
戦う道はない。
あるのはポジティブに離脱するか、それとも、協働する道を探るか。
理不尽すぎる修行。
ぼくはもうそこには戻らない。
ぼくがゆくのは、ぼくの道。
明日を変えるのは、ぼくのたった今。
過去を変えるのは、ぼくのたった今。
ミニレゾ
馬鹿っていうやつが馬鹿なんだ!
兄とラインをしていて、無知って可能性に満ちてるよねっていう話になりました。どんな兄弟なんだ。
知識をもっている人からすれば、負け犬の遠吠えのように聞こえるかもしれませんが、なにも、そんな風に思っているわけじゃあないんです。それこそ、頭の良さそうな人が好きそうなカタカナの名前の人、そうそう、ソクラテスっていう人がいてね。
その人はいろんな知識者と話しているうちに「自分は案外、世の中のことをよく知らないのだな。」と気づいたのだそうです。これが、無知の知というやつらしいのですが…知らないからこそ知ろうとする好奇心のパワーはなんと絶大で、あたかも知っている風な人は、そもそも自分の知らない世界を認めづらいから知ろうとすらしない。
だから、無知な人の方がより物事を知ることができるということなんですね。
何も知らない物覚えの悪い人のことを「馬鹿だ」と罵る人がいるらしいのですが、ぼくが小さな頃には『馬鹿っていうやつが馬鹿なんだ!』と、そんな言葉を耳にしたと記憶しています。自分も言った覚えがあります。
子どもながらそんなことを言い合っていたワケなのですが、今思えば、なんと哲学的で、それでいて真理をついた言葉なんだろう。と、思うのです。
今の僕は、とても無知です。
何も知らないのです。
かと思えば
あんまり知りたいこともないのが、なんともぼくらしいのです。
なんにせよ今は、目の前にある大量のレトルトカレーをどの順番で食べようかに頭を悩ませております。
ミニレゾ