ミニレゾのミカタ

『ニートのいずみくん』の日記的なログ

篠山紀信展 写真力 The Last Show

たまたまだった。

 

東京へ訪れる前に何度かイベント情報を調べて旅の予定に入れてみたけれど、この情報はどこにも見つからなかったんじゃないかな。TENQでのエリックカール展に行きたいがために来た、水道橋、東京ドームシティ。

 

そのチケットを発行するべく最寄りのセブンイレブンへ。すると、そこには長い長い行列があった。いったい何の行列なのかは、正直どうでも良かったけれど、そのよこの電柱には広告の旗がはためいていて、そこに描かれた写真に惹かれた。

 

それが、あの有名な写真だった。

ジョン・レノンオノ・ヨーコがキスをしている。

あの写真。

 

ぼくはTENQのチケットを発行して、その足で、その広告の場所へ行った。

篠山紀信展 写真力 The Last Show」

 

写真を撮るという行為は、いまは、専門性を失いつつあるように思える現代。誰しもがカメラを携え、意識せずとも持つことになり、誰しもが何かを撮影することができる。ご飯を食べる前に写真、風景を眺める前に写真、集まったらまず記念写真。誰でも取れるようになった。誰でも撮られるようになった。

 

でも、彼の写真はちがった。

 

兄も写真が好きで東京で共同展を開いたこともあるほどで家にも飾ってあったり書棚の写真集をみせてもらうこともある。パもまた、フォトグラファーで、美しい写真を撮る。

 

それぞれで個性はあり、全くちがう。

 

その中でもやっぱり、篠山紀信という男の写真は、とんでもない。写真力という言葉のごとく、まさに、力を感じる。生きる力。タレントという言葉は今や職業名でしか無くなってしまったようだけれど、その言葉の通り、才ある人、つまり天才だ。その天才たちが天才たるゆえんは、その存在感ともいうべき、生きる力にある。

彼の写真には、それが映る。

彼はそれを映す。

 

神様というのがいるらしい。時々降りてくる写真の神様に会うために、惜しまない努力をしているという。努力をして努力をして、そうしているうちに「決まった」という瞬間があるらしく、神様が降りてくる瞬間があるらしい。その時に撮れた写真は、とんでもない、と。

 

「GOD」
(鬼籍に入れられた人々)

「STAR」
(すべての人々に知られる有名人)

「SPECTACLE」
(私たちを異次元に連れ出す夢の世界)

「BODY」
(裸の肉体-美とエロスと闘い)

「ACCIDENTS」
(2011年3月11日-東日本大震災で被災された人々の肖像)

 

 

映画の素晴らしさに引き続き、写真というものの素晴らしさを体感した。

それとともに、奇跡の一枚、神様の降臨というのは、決して偶然なんかではなくて、純真無垢で永劫不滅な努力の末に辿り着く境地なのだろうということを知ったよ。

いや、辿り着くというよりは、ただただ続く道の途中、神様は気まぐれにやってくる。でも、やってくるのは確実に、ただただ、道を歩き続けている人のみ。

 

彼が持つエネルギーを、彼の写真を通して、少しだけ分けてもらえた気がする。

そういう意味でも、写真というのは、何とすごいものかということを知るのでした。

 

 

 

 

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