ミニレゾのミカタ

『ニートのいずみくん』の日記的なログ

「海獣の子供」は壮大に静かに大切なことを教えてくれる物語

今年、6月7日からロードショーされている「海獣の子供」。主題歌を米津玄師が担当した「海の幽霊」も、その世界観をそのままの壮大さで表現していることでとても注目されました。

ずいぶん前に兄から原作を勧められたのですが、その時は全く関心を示せず、読まずじまい。ですが、勧められるものってなかなか見ようって思えないものですよね。でも、タイトルと表紙絵の壮大さに惹かれていた部分もあり、名前を聞いた瞬間にすぐに思い出しました。映画をみて原作も読んだので、この記事では、それぞれで感じたことを書いていこうと思います。

映画については、他で解説あります。

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2019.8.5 映画を観た直後

東京の映画館で「海獣の子供」を観た。圧倒的な世界観と映像に魅了された。観終わった後には、ずいぶんと長い旅をしたような、はたまた、瞬きほどの刹那を過ごしたような、そんな感覚でいっぱいになった。エンドロールが終わり会場が明るくなった後、パートナーとともに互いに言葉をかわすことなく、外に出た。

僕はその時「意図的に言葉を発しなかった」と記憶してる。

「すごい映像だったね」とか「わけわからなかった」とか、そんなその場だけの言葉には何の意味もないことが自然に分かった。劇中に出てくる言葉を借りるのなら、まさに「大切なことは、言葉にならない」ということを、身を以て感じ、実践していた。

その時の言いようもない新しくも普遍的な感覚を、言葉にする必要はなかった。正直、この作品についてブログを書こうとすること自体、僕にはおかしなことのようにも思えるほど。今もその感覚はある。

ブログに書くということは、この作品を言葉の海に放り込んでしまうということだから。どうあっても、この作品を言葉で表現することはできないと思う。それでも、何か書きたいと思った。だから書く。だけど、この文章を読んで「海獣の子供」を「あ、こういう作品なのか」と定義するのは、僕はおすすめしたくない。

映画であれ原作漫画であれ、暮らしのなかにある自分の目でみて向き合ってほしいと、僕はそう強く思うから。

原作も読んだことがなくて、予告編と主題歌の映像だけみて映画を観ることになった。ホームページも見ていなかったから一体どんなストーリーなのかということには全く理解のないまま映画を観たのだけれど。もしストーリーをなんとなく分かってから観たとしても、よくわからなかったと思う。正直、観終わったあとは「一体何が起こったのだろう」という漠とした感覚と「生きていることの美しさと奇跡」に酔いしれる感覚が一斉にきた。

とにかく途中からは何が起こっているのか良くわからない。でもそれでも、とてつもなく素晴らしい作品に巡り会えたことが嬉しかった。大切なことは言葉にならないし、言葉だけが全てではないし、人と宇宙は全てつながっているといった断片的な記憶が入れ替わり立ち替わり僕の脳を席巻していた。そして、美しい映像が頭から離れない。

それが、映画を観た直後の素直な感想である。

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2019.8.13 漫画を読んだ直後

全部で5巻で構成されている。1巻ずつはとても分厚い。物質的にも物語的にも。映画は非常にレベルの高い映像作品としての価値が高かったのに対して、こちらは「物語」として本当に素晴らしい世界観をもつ作品だった。

人々が生きている世界、いや、視ている世界がいかに小さなものか。そして、本当の世界というのは、いかに、大きくて想像をも及ばないものか。反対に、そうした世界がどれほど自分たちの生活の中にありふれているのかを、淡々と教えられる。

もはや、この作品を言葉で説明しようなんていうことに無理があるけれど、この作品から得られる「人間としての学び」は計り知れない。何を視て生きていくべきか。本当にこのままでいいのかと問われているように思うのである。

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最後に

海獣の子供という作品に触れられることの幸せを思う。本当に素晴らしい作品。もう一度映画館でみたいし、この漫画を人生のバイブルとしておいても、なにも過言ではないと言い切れる。僕たちは一体どこから生まれ、どこへ流れてゆくのか。そして今、どんな状況の中にあるのか。宇宙とは、人間とは、海とは、空とは。全ての命はどこへと向かうのか。陸よりも海の方がはるかに広い世界で、陸に住む人は、陸に住む人とだけの関わりに固執していて良いのか。もっと世界を見るべきではないのか。僕たちは結局、この世界のなに一つを知ることはできないけれど、それでも、探求してゆこう。