ミニレゾのミカタ

『ニートのいずみくん』の日記的なログ

2019年8月15日、昨日と同じ日に戦争が終わったという。

どうやら昨日は戦争が終わった日らしい。この日本で、そのことを「特別」だと考えている人がいったいどれだけいるというのだろうか?少なくとも僕は、正直にいえば、ほとんど何も感じることなくこの日を終えようとしている。なぜなら、そもそも戦争は終わってはいないとも考えているし、戦争は今もまだどこかで起こっているということを知っているから。ただ、終戦記念日を機に追悼をして平和を祈ることはとても大切で、死者を弔う意味においては、とても大切な儀式だと思う。僕も少しばかり手を合わせて黙祷をさせていただいた。

平和祈念資料館学習ハンドブックを読んで。

忘れてしまったものを取り戻すきっかけは、暮らしの中にある。

ずいぶん前のことですが、僕は修学旅行で広島へと行きました。原爆ドームに象徴される戦争の傷跡を直視しに行くことが目的でした。高校生だった僕が「悲しいことだ」「与えられた一生を大切に生きていこう」と感じたことを今でも覚えています。そういう環境の中へ行けば(=平和な日常の中から飛び出して、残酷な現実を知れば)、普段は適当に生きていても少しばかりは、背筋を正して生きていこうと思います。でも、それは長く続くものではありません。それを証明するように、僕は今だに戦争のことを説明することすらできないのです。

このハンドブックは、過去の自分からの手紙のような気がしています。忘れるなよっていうメッセージ。これを残しておいた自分が今の僕に宛てた手紙。僕はここに書いてあることすら、今の今まで知らなかったのです。僕は忘れてしまっていたものを取り戻すために、このハンドブックを手に取りました。

この本を通して分かったこと
  1. 1945年8月6日8時15分、広島に原爆が投下された。
  2. 原子爆弾核分裂による強大なエネルギーを兵器として利用したもの。
  3. 原爆の研究はドイツに始まり、1942年より米でマンハッタン計画が開始。
  4. 人類史上初めて原爆実験が成功したのは、1945年7月16日。
  5. 成功から実践まで、およそ1ヶ月だった。
  6. 広島に投下された原爆の核分裂部室としてはウラン235が使われた。
  7. 広島投下は、米のソ連に対する威嚇と原爆開発経費の国民への正当性を訴えた。
  8. 広島の他に、小倉・新潟・長崎に対して投下命令が下されていた。
  9. 原爆により発生したエネルギーは4つある。
  10. 内訳は、熱線35%、初期放射線5%、残留放射線10%、爆風50%
  11. 終戦宣言の年の12月末までに、戦争によって14万人が死亡したと推計される
  12. 3キロメートル以内にあるものは、全て黒焦げになった。
  13. 爆風によって、人々は吹き飛ばされ、即死し、負傷し、圧死した人が相次いだ。
  14. 大量の放射線の放出によって、人体に深刻な障害が及ぼされた。
  15. 1946年初めころから、火傷が治った跡が盛り上がるケロイド症状が現れた。
  16. 1950年ごろから白血病患者が増加し55年からは悪性腫瘍の発生率が高くなった。
  17. 核兵器を禁止する条約は、CTBTやSTRATなどがあり核軍縮へと進んでいる。
  18. 一方で、それを無視して、世界では核抑止論に基づいて実験・製造が進む。
  19. 核抑止論とは、強力な核兵器により敵国を脅し、攻撃をさせないという考え方。
  20. 核兵器のない平和な世界の実現は、平和を願う市民の強い意志によって成る。

もっとある。僕たちはこの世界の何にも知らない。知る必要がある。

ただ、怖い、恐ろしい、いけないことというのではなく、どんな事実や現実があるかリスクがあるのかということをちゃんと見つめた上で、僕たちはどう暮らすかを選択するのだ。漠然と唐突に選択肢を与えられた社会に必要なのは、歴史と背景を知り考えるその機会だと、改めて思いました。

この世界の片隅に」を観た。

今、GYAO!で「この世界の片隅に」を期間限定で無料で観ることができます。

gyao.yahoo.co.jp

僕はこの作品を京都にある立誠小学校の立誠シネマで観ました。2年前のことです。そして今再び、この作品を観て思うのは、戦争は異常だ。日常は、異常だということ。当たり前として生きていくことが、国という一つの人格によって脅かされる。その絶望は計り知れない。僕たちが今ここに生きているということがどれほど尊いことなのかを、そしてそれが国によってもたらされた栄光だということを心に留めて置かなくてはならない。

僕はどう生きていくか。

なんでも使って暮らし続けることが僕たちの戦い。何にも考えないまま生きていければ、それが一番幸せなのかもしれない。でも、考えて考えて日々を続けていくことが僕たちの生きる道。大切に大切に大切に大切に大切に、息をする。

最後に

昨日は戦争が終わった日。1945年8月15日、それは今から74年前のこと。1945年は年号でいうと昭和20年のことらしい。西暦2020年には、東京にてオリンピックが開催される。終戦から75年を経て、もう一度20という数字に巡り会い、そして重なる。このことになにか意味があるのかはわからないけれど。

今どき珍しいねえと言われる「下駄」で1日歩いた結果

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お盆に墓参りに行くということで、せっかくなので下駄で出歩いてみることにしました。これまで草履やサンダルを履いたことはあっても下駄を日常的に履くことはなかったので、実際に履いてみた感想を書いておきます。 

そもそも下駄を履くことになった経緯

履きたい草履が見つからない

もともと草履を履いていたのですけれど、その鼻緒が切れてしまい、修理するすべもなく捨ててしまいました( ;  ; )僕が気に入っている草履は九州物産展でお譲りいただけるものなんですけど、なかなか物産展開催とタイミングが合わなくて、手に入らないんです。そしたら、近所で草履を履いてる家族がいて、その草履がどこからやってきたか聞けば「桔梗屋さんにあるよ」というので、行ってみることに。

桔梗屋さんにあったのは、下駄だった。

桔梗屋さんに行って「草履ってありますか?」と聞いて「あるよ」と言って出してくれたのは、言わずもがな、下駄でした( ;  ; )サンダルとか草履とか簡単に履いて外出できる履物を持っていなかったので、とりあえず、何か欲しいなあとは思っていました。下駄かあとは思いつつも、裏地を見ると、むき出しの木でした。ここにはとても魅力を感じたのです。あと値段。

草履なのにゴムがついていることの違和感、それを脱出するチャンス

プラスチックや合成樹脂なんかが使われているものに違和感を感じていました。草履なのにゴム、ビーチコーミングしているのにプラスチックのサンダルを履いてるみたいな。そういう見えなくなってる矛盾みたいなことに、すっごい引っかかってました。でも、むき出しの木に強く魅力を感じて決めました。そして、100円というロープライス笑 僕は下駄を履くことに決めました。

下駄を履いて1日歩き続けた結果

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普通の靴とは歩き方が違います

僕が持っている下駄は2種類。一つはお盆下駄。もう一つは日和下駄。後日もう一度桔梗屋さんに行ったら「お兄ちゃんいつも使ってるで、これあげるわ」と言って日和下駄をもらいました。僕がそのお店を使ったのは、100円のお盆下駄を使ったただ1度だけ何ですが....笑

日和下駄というのは晴れた日に履く下駄のことを指しますが、僕が履いている日和下駄の二枚の歯が思いの外、地面からの高さがあるんですね。

下駄の歩き方は、普通の靴とは違うんです。かかとから歩くのが靴の一般的な歩き方ですが、下駄は、違います。下駄は、地面に向かう歯を同時に着地させて、体重を前に倒すと同時につま先を地面につける。コンクリートと木が2度ぶつかるので、カタンカタンと音を立てながら歩いて行きます。

だから、慣れていない人はとても歩きにくいです。慣れてしまえば、こんなもんかという感じで歩けます。

カタンカタンと音が鳴り続けます。

下駄は、歩くたびにカタンカタンと音が鳴ります。初めて下駄を履くので僕はその音が風流だなあと思っていましたが、一緒に歩いていた人から「カタンカタンうるさいね笑」と言われちゃいました。外でも中でも静かにしたい場所でもどこでもカタンカタンなっちゃいます。女性がハイヒール履いて歩いている音がたくさんあった時代は、多分普通だったんだろうなあと訳の分からない想像を。

床によってはめちゃくちゃ歩きにくいです

スニーカーで歩いている現代人には想像に難しいかもしれませんが、外を歩いていたら「コンクリート」「点字ブロック」「レンガ」「ブロック」「側溝」「段差」「階段」など、思ったより凸凹してます。スニーカーだと、自在に変形しますが、下駄だとそうもいかず弾力性もないため、地面との衝撃がそのままに伝わってきます。

また、室内であっても、床材が木材のものもあれば、汚れを落としやすいようにツルツルとした素材を使用している場所もあるので、とても滑ります。

滑って転びそうになることも。

現代の履物としては下駄は使いにくいかもしれない

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下駄は趣があって手軽に履けるけれども、日常使いするにはハードルが高いかも。靴よりめちゃくちゃ体全体に衝撃が来るので、体力もすごく使います。ただ、体幹はめっちゃ鍛えられそうです笑

それでも僕は、しばらは履き続けようかなと思います。これ以外、履物ありませんから( ;  ; )