ミニレゾのミカタ

『ニートのいずみくん』の日記的なログ

講義1コマ分だけ親友とLINE電話して気づいた「好き」にまつわる5つの説。

Dear Yoshiyuki

親友から突然こんなLINEがありました。

ミニレゾと話したら面白そうだったからテーマとして上げたい話題がある

僕はすぐに「ハードル上がるなあ笑」と返事をしましたが、どうもすぐにその話がしたい様子。早速「時間あるかい!」と返ってきたので「親友の頼みとなれば」と。

プルルルル。

そこから講義1コマ分の「好き」にまつわるお話がはじまったのであります。

問題の出発点「あの人〇〇好きだよね」の、僕にとっての〇〇ってなんだろう?

「あの人〇〇好きだよね」っていう状況の話

例えば、AさんとBさんとCさんが友人関係で、3人で遊びに行くこともあって付き合いも長い。たまたまAさんとCさんでご飯をした時に「Bさんって〇〇好きだよね」という話になった。

という状況の話。

こういうシーンってあるけれど、友人関係が長くてよく知り合っていると思っている人同士だとしても、案外、好きかどうかって分からないこともあるかもしれません。ミニレゾに身に覚えがあることでいえば、親友の誕生日プレゼントを選ぶ時とかに「あれ?何が好きなんだっけ、何が欲しいかなあ。」と、つい立ち止まってしまいます。

ずっと一緒にいる恋人でもそうかもしれませんね。これだけ一緒にいるけれど、恋人のことは好きだけれど、「好きな人の好きなもの」ってなんだろう?案外、近くにいる人ほど見えにくいものなのかもしれないですね。家族を例にあげても、然り。

僕にとっての〇〇ってなんだろう?

親友が尋ねてきたのは「そんな状況において、僕にとっての〇〇ってなんだ?」ということでした。どうしてそんな疑問を抱いたのかといえば、そもそものところ、彼自身に「これが好きだ。と言えるものがない」という感覚があったかららしいのです。僕から見ても、彼は色んなことをやっています。コーヒーやヴィーガン料理づくりだなんて洒落たことをしているかと思えば、1日中家でゲームをしていたり、かと思えば、突然に山に登ったりもしています。その関心の幅はとても広く、インドアを感じさせつつもアクティブなようにも見えます。

ところが、彼自身にとってみれば、どれも「好きだからやっているわけではなくて、やってみようと思ったからやっている(やった)だけ」というのです。

彼自身に「好きだからやっている」という感覚がないからこそ、僕にとっての〇〇ってなんだろうという疑問に至ったのかもしれません。分からないことを自分だけで分かろうとしてみたけれど、それでも分からないから、他者の評価を参考にして、自身の好きを確かめようとしていた(いる)のかも。

僕の回答

親友も、長年の付き合いのある友達に「僕の好きなことってなんだ?」って聞いたらしいんです。ですけれど、その友達ですら、ちゃんと答えられなかったといいます。

僕は親友に「自分自身がやったことないこと・新しいこと、他の人がやったことないこと・新しいことをやってみるということが好きなんじゃない?」と答えました。特定のコトやモノに好きと感じていないということは、その行為そのものに関心があるのではないかと考えたからです。特定のコトやモノをするコトの「するコト」の部分が好きなのではないかと思ったわけです。

この回答は、ある意味、論点をずらした回答でもあるのであまり参考になりませんが、そのことをきっかけとしてインタラクティブな「好き」にまつわる一コマの講義が始まったのであります。

この記事では、僕と親友が話した「好き」にまつわるいくつかの仮説を書いています。なお、LOVEかLIKEか、はたまた、他者への好意「好き」にまつわる話ではないこと、ご了承くださいませ。

❶大人になるにつれて「好き」のハードルが高くなる説。

子どもにとっての「好き」は、一瞬の煌めき。

僕は毎日、障害のある子どもたちと関わり合いながら過ごしていますが、子どもたちにとっての「好き」って大した意味がないというか、なんというか、反対にそれが全てであるようなそんな感じで。「好き」はただ、その言葉の意味の通りにだけ「好き」なんです。どれだけ好きかどうかの判断はもちろんありますが「好き」という発言は、他の言葉には代えられない、ただ単純に「好き」という言葉であり、その瞬間の感情・煌めきなのです。 

レゴブロックをしていて「僕、レゴ好き!!!」と言った少年がいました。その少年が何で遊ぼうか悩んでる時に「レゴブロックしよう!」と誘ってみても「僕、レゴブロック嫌い」と怪訝そうな顔をして去ってゆくことは、日常茶飯事で。

子どもにとっての「好き」は、ほんの一瞬の煌めきのような、瞬く間に移り変わってゆくようなモノなのかもしれません。

その言葉そのものには、さして意味はないけれど、その瞬間は「好き100%」みたいな。

大人が「〇〇好き」と公言すると、求められてしまう3つの要件

例えば、AさんとBさんとCさんが友人関係で、3人で遊びに行くこと

さもあって付き合いも長い。たまたまAさんとCさんでご飯をした時に「Bさんって〇〇好きだよね」という話になった。

僕たちはまず、このAさんとCさんの立場になって、この時のBさんに何人かの〈共通の友人〉をあてはめて考えてみました。すると、思いのほか出てきたのです。自分たちのことは分からないのに、他の人のことは分かるものです。

そうして話していく中で少しずつ〈共通の友人〉たちが持っている「僕たちに〇〇好きだよねと言わせる要因」が何かがわかってきました。そして、その共通点が見えてきたのです。

要因1 楽しそうしているか。

〈共通の友人Xさん〉は、いつも笑顔いっぱいで、instagramには沢山の友人と楽しそうにご飯を食べている様子やアウトドアを楽しんでいる様子をよくアップしています。アウトドア、カフェ、料理、海外旅行…かと思えば国際貢献のような写真。色んなことに対してアクティブだから、特に「〇〇が好き」ということはないのかもしれないけど、でも、全部のことにおいて、楽しそう。

好きじゃないことを心から楽しんで笑顔でやりきることって難しいと思います。だからこそ、楽しんでやってる姿が見えると「好きなのかな?」って。

他の人から見て「楽しそうにやっている姿が見て取れる」と好きなんだねって周囲に思わせる力が働くのかもしれない。

要因2 継続してやっているか。

〈共通の友人Yさん〉は、昔からずっとダンスパフォーマンスをやっていて、今も踊り続ける日々を送っています。彼もまた楽しそうにダンスをしますし「ダンス好きなのかな?」と思わせられます。

好きじゃないことを心から望んでずっと続けてやることって難しいと思います。だからこそ、継続してやっていると「好きなのかな」って。職人気質の人とかもそうだと思います。小説家、漫画家、ブロガー、陶芸家とかは、描き続けたり作り続けたりしていて、人から見たら楽しそうとは見えないかもしれないけれど、ひたすらやり続けていられる。

他の人から見て「続けてやっていると言えることがある」と好きなんだねって周囲に思わせる力が働くのかもしれない。

要因3 知識が十分にあって、語れるか。

〈共通の友人Zさん〉は、中東についてとても詳しくて自分で講座を開いて人前で話せるほどに知識が豊富にあります。それが誰から見ても分かる。また、地域づくりなどについても関心があり、様々な地域のことについて話ができるだけの経験もあります。

あ、これだけ沢山のことを知っていて語れるって「とても好きなんだな」って思える。好きじゃないことについて沢山知っているのって考えにくいから、それだけ知ろうという意欲が湧くのは「好きだからなんだよなあ」って思える。

他の人に「こんなにも知識を持っているんだ思わせられるほど知識が十分にあって語れる」と好きなんだねって周囲に思わせる力が働くのかもしれない。

〇〇好きだよねと思わせる3つの要因は、裏を返せば、「好き」に求められる3つの要件ともなる。

他者に対して、〇〇好きだよねと思わせる「楽しそうにしていること」「継続していること」「知識が十分にあって語れること」という3つの要因のどれかをもつ人には、おそらく「好きなこと・もの」がある。でも逆に、好きなこと・ものがない人が背伸びをして「僕〇〇好きなんです」と言ってしまったら、それら3つの要因を「要件」として背負う必要があるということになるんですよね。

そうなると、楽しそうにしているかは置いておいたとしても、続けなくてはいけないし、それについて沢山の知識を持っていないといけなくなる。

「好き」と言えることは、それだけの楽しさを表現したり、続けるだけの魅力やそれについての知識を語りつくせるほどのめり込んでいる状態なんだということ。

そうやって考えると、やっぱり、大人にとっての「好き」って相当にハードルが高い^^;好きなもんは好きでいいはずなのに。

❷「好き」だから続けていることとライフスタイルは、また別の話かもしれない説

僕はよく、ナチュラルな暮らしをしている人って見られます。普段は、もらいものの食材と惣菜だけで生きていて、かれこれ2ヶ月は買い物に行っていないだけのズボラ男なんですが....笑 「ベジタリアンをやっていた」とか「プラスチックはなるべく使わないようにしている」とか「無農薬で畑やってたことがある」とかそういう話をしているからなのか、そういう風に見られます。僕は、これらのことに関して、心から楽し見ながら続けていて、かつ語れることもあります。だから、そうした生活をすることが「好き」ということになるでしょう。

でも、そういう生活の方針というか、生活の柄というか、ライフスタイルについては、あんまり「好き」という感覚ではない気がしています。「好き」だからしているというよりかは、目的があってしている。例えば環境保全のためにプラスチックを使わないとか、あえて便利さを捨てるためにコンビニを使わないとか、そういうこと。

だから、要件を満たしているからと言って、それが必ずしも「好き」というわけではない。それが人生の指針のようなものから生まれる行動であるのなら「好き」ということとは、少しばかり違う話になるようです。

❸好きなことがあるかは置いておいて、少なくとも、嫌いじゃないことが多い説

僕も親友も、いろんなことに関心はあってやってみる。親友は、ゲームもするしドライブもするし登山もするしヴィーガン料理も作るしコーヒーも淹れる。でもどれも「好き」とは違う。僕もそう。ブログを書いたりポイントサイトしたり畑したりステージで歌を歌ったり動画編集したり手紙を書いたり子供と遊んだりする。でもどれも「好き」とは違う。

2人で話して気づいたのは、「好き」というわけではないけれど、少なくとも「嫌いじゃない」よねということ。

コーヒーを淹れたりヴィーガン料理を作るのも、そのための道具や材料を準備したり調べたりすることの『面倒くささ』から、やらない人も多い。缶コーヒーでいい。そういうご飯食べたい時は食べに行く。自分で作るなんて無理、面倒。でも、親友はそうじゃない。その面倒くささすらも「嫌いじゃない」から、やってしまえる。

そのことについても、それが当てはまる。だから、色々やっているけれど「好き」ではない。ただ「嫌いじゃない」が多いだけ。

要するに、僕らは関心の守備範囲が広いのだ。

❹「あの人〇〇好きだよね」の〇〇を手に入れるための方法=人に話をすること説

人に話すのが一番いい。自分がやっていることをなんどもなんども話をしたり書いたりして表現して、周りの人に伝える。しかも楽しそうに(要件1)伝え続けてる(要件2)と、周りの人は「あ、あなたはそのことに関心が高いんだね」と分かる。そうすると、自分に似た関心を持っている人が次第に集まってくる。似通った関心を持ち合わせた人がお互いに表現しあえば、その知識を交換しあえる。知識量の差で挫けるんだけど、でもまるで浸透圧のように、その濃度は一定になっていくんだと思う。そうやって濃度が一定になっていくにつれて知識が増えていって、ただ単に「嫌いじゃない」でやっていることが語れる(要件3)ようになる。

そうやって、僕たちは「好き」を手に入れることができるのかもしれない。

❺親友がミニレゾを相談相手に選んだ理由:相対的な「好き」「嫌い」はもっている説

人生は選択の連続。2択の選択肢があったとしたら、そのどちらかを選ばなければいけない。くじ引きでもない限りは、自分の思考から何かしらの判断が下されて結論が出て、決断されます。だからきっと、そこにも「好き」「嫌い」の思考はあるかもしれない。言葉を変えれば、好ましいか好ましくないかということになります。

親友は友達にも「好きについての話」をしたらしいのですが、そんな話ができたのは、その人と僕だけだそうです。僕と親友との〈共通の友人〉は他にも沢山いて、僕よりも深く関わっている友人がいるのにです。不思議ですね。

たぶん、親友は無意識のうちに「こういう答えのない話が嫌いじゃない人」もしくは「抵抗感のなさそうな人」を探したのだと思います。その結果、彼の友達についで、僕のイメージがあがった。なおかつ、こういう話をちゃんと展開していくのに「好ましい人」として望ましいとの判断だったのだと思います。

〈共通の友人〉の中にも、答えのない話が嫌いじゃない人、むしろもっと真剣に話せる人はいるんです。でも、その友人らは、こうした類の話を「悩み」として捉えてしまうのです。でも僕は「悩み」としては捉えずに、ただそういうことを考えたいだけなんだと、理解します。悩みとして捉えられると「まあまあ、あんまり深く考えなくていいんじゃない?」で話が終わってしまうんです。でも、こうした話題を持つ人が求めていることって、ちゃんと問題を分解して整理していくつかの道筋を立てること。

いろんな友人関係のある親友がミニレゾを相談相手に選んだ理由は、同じように答えのない話ができる人がいるとしても、よりこういう話が嫌いではなくて、むしろ展開していける人を探した結果だったということなんじゃないかな。

無意識のうちに対象の人物たちを相対化したり比較化して「好き」「嫌い」を判断しているのであるかもしれない。

まとめ

  1. 子どもの「好き」が一番煌いている
  2. 大人になるについて「好き」のハードルが高くなる
  3. なぜなら①楽しむこと②継続すること③語れることが要件になるから
  4. 「好き」とライフスタイルは別の話
  5. 「嫌いじゃない」からこそ色んな関心に向かっていける
  6. 「好き」を手に入れるためには、人と話をしよう
  7. 誰しもが相対的な「好き」「嫌い」というのは無意識にもってる。

なんかもう、書きたくない笑

書いてるうちに何書いてるかわからんくなりました。。。というか、もっと簡単にかけたはずなんだけれど、どうしても回りくどくなっちゃうのが僕のなおさなかんところですな。

 

というわけで、おしまい。