ミニレゾのミカタ

『ニートのいずみくん』の日記的なログ

ミニレゾ、退職しました。

突然のご報告ではありますが、ミニレゾは退職しました。

海の見える町で、障害のある方(児童を含む)の支援をさせていただいておりましたが、一身上の都合により、退職します。(いや、しました。)

退職するに至った経緯を、僕自身の覚書として残しておきますね。

入社から7ヶ月で退職に至った経緯

入社を決めた理由

働くか、働かざるか決めかねているときに声をかけてもらった

大学時代に過ごしてきた住み慣れた町にこれからも住んでいたい。そんな思いもあって、仕事先ではなく、暮らす場所から決めました。仕事はあくまでも生活の一部で、何よりも生活を大切にしたいと思っていたからです。

とはいえ、生活するためにはお金が必要なのも事実。そうはいっても、特に働き口の当てはない。そんな中、地域交流の中で出会っていた福祉施設の法人代表から声をかけてもらって事業所見学やコミュニケーションをとる中で、入社することを決めました。

面白そうだと想った

何より「この会社は面白そうだ」と思いました。事業はじめて3年目で新事業を立ち上げるという話で、そのスタートアップのメンバーとして採用してくれるという話でした。新しい事業を軌道にのせるまでの過程に伴走できることは、いつか自分で事業をたちあげたいと考えていた自分としては、とっても有意義な時間になるなあとも思っていたわけです。もともと入社が決まっていた会社も実のところあったのですが、そちらはお断りして、スタートアップメンバーとして入社が決まりました。

騙されて入社?

新事業がはじまるのは5月でした。それまでの1ヶ月間は、新事業に向けて何か一緒に取り組めるのかと思いきや「ゆっくり休んでていいよ」「ごめんね、なかなか忙しくて構ってあげられなくて」といって、全く仕事が回ってきませんし、なんの説明もありませんでした。こちらから聞いても、なんの進展もありません。

自分で見つけた仕事を少しずつこなしていくことでなんとか時間をつなぎましたが、何も教えてもらえず、何も貢献できていないと実感することは、とても苦痛を伴う時間でした。

「あまり無理しないでいいよ」「のんびりやってもらって大丈夫だよ」と気を使ってもらうのは良いのだけれど、こちらのニーズに全然あっていない返事をされてもって、いつも思っていました。

また、新事業の事業形態も、入社前にあった説明とは違うものに変更されていました。それを知らされたのは、入社後でした。でも、その新しい事業について聞いても「いやあ、僕たちもはじめての事業だからよくわからないんだよ」の、一点張りでした。

不安は募るばかりでした。

3ヶ月ほったらかしの新人

そんなこんなで1ヶ月がすぎて、新しい事業がはじまりました。しかし、そこにはいるべき職員がいつもいません。事業所にいるのは僕だけでした。福祉事業所というのは、職員配置基準というものがあって、そこに決められている職員は必ずいなければならないのにもかかわらずです。そのことについて何度申し出ても、たいした改善をなされることはありませんでした。僕はほっとんどほったらかしのままでした。

ミーティングもなく、申し送りも何もありません。それでは、まともに情報を集約することもできませんでした。ミーティングをしましょう。この言葉を何度伝えたことでしょうか。その重要性を全く理解していない人には、何度このことを伝えても全く意味がありませんでした。

彼らは、福祉職についたのもはじめてでなんの実践もしたこともない新人職員に、利用者をひとりで任せていたのです。そんな中で大した支援ができるはずもありませんでした。僕が支援していた利用者が来なくなりました。(あとから聞けば、その利用者が突然に来なくなるのはその人の特性であったのだと言います)

そのことを理由にして、僕は2万円の減給をうけ、異動となりました。

異動、そして2万の減給、失望期

異動し、2万円の減給をうけました。

仕事をするっていうのは、会社で働くっていうのは、こういうこともあるのかと思いました。というか、そう思うことにしました。今まで、ほとんどアルバイトもしてこなくて、周りの人の親切に頼り切ってきた報いをうけたんだと、これも学びなのだと思いました。そう思い、これも教育費なのだと、自分への投資なんだと思い、やめるという選択肢をやめました。

この時、就職から3か月がたったところでした。試用期間も終わりというところで、このまま続けますか?やめますか?と聞かれました。ここでぜひ続けて欲しいではなく、選択の全てを委ねられました。これまで一切何も面倒を見なかったくせに。ああ、この上司は最低だな。そう思いました。

でも、やめるという選択肢をやめた僕は、続ける選択をしました。

それから3ヶ月はたらく中で

それから3ヶ月の間は、別の上司のもとで働くことになりました。というより、はじめて、上司という人について働くことができました。その人は、現場を一番に考える人で、現場のことをよく教えてくれました。利用者さんとの関わり方、事務書類の書き方、どんな手順で事業所に報酬が入り、利用者へと還元することができているか、仕事の心構えはどんなものか、様々なことを経験と実践の中で教えてくれました。利用者さんたちの信頼も厚く、いつも笑顔が絶えませんでした。

その様子を見て確信しました。

この会社の問題は、この人たちのさらに上の人たちの考え方・働き方なんだと。僕が戦っていたのは、そこだったんだと。そして、自分の価値観は、現場に通ずるものだったんだ、利用者の心に繋がれるものだったんだと知ることができました。それとともに、やはり、あの上司たちへの信頼はとことん減退していきました。

異動からさらに3ヶ月働いていく中でわかったことがある。

それは、僕が信頼を置いている現場主義の上司もまた、その上の上司を信頼していないということでした。その理由は、僕が考えているものと全く同じでした。

  1. 利用者さんのことを金だと思っている。
  2. 利用者さんのことを自分のために働く労働力とでも思っている。
  3. 利用者さんもやりたいと思わない趣味のようなイベントで土日を奪う。
  4. 全く指示を出さないくせに、いざ始めるとあれやこれや文句を言う。
  5. トップダウンでしかモノを言えず、ボトムアップで意見を受けようとしない。
  6. 調理場にお湯が出ないのに直さない・できるのに
  7. 身体的な不自由ある人がいるのに洋式便所を設置しない・できるのに
  8. 上司に物を申すと冷静な判断どころか、怒り狂い関係ないことでケチつけ始める
  9. 業務外なのに連絡がきて指示される
  10. 普段からコミュニケーションとらないのに会社の経営状況が悪いんだどうしたものかなだなんて相談してくないでくれ。
  11. 言っていることも、やっていることも、どこを探しても理にかなわない。
  12. その他数えきれない訳である。

オトナの気持ち悪さを感じた一件

社会貢献。

これは一般的にはとても良い意味で使われるが、こんなに気持ち悪い使われ方を聞いたのは、はじめてのことだった。

利用者さんの信頼も獲得できていないのに、現場職員の声も聞かないのに、もともとあった事業もままならないまま新しい事業を反対の声も無視して無理やり立ち上げて、今も借金に借金を重ねて経営も厳しいと言うのに、誰もやりたいとも、やって何の意味があるのか理解もできないのに、「社会貢献だ」といって何の説明もなく新しい事業を始めようと言い出した。

社員総出で何度も何度も反対したが、決行された。

その結果また失敗し、それにショックを受けて来れなくなった人もいる。

それについても、その人のメンタル管理の責任だと言い放つ。

いつものことだと言い放つ。

利用者の幸福も考えて実現できないのに「何が社会貢献だ」と、社員の想いは一つでした。まずは、ここにきている利用者さんたちの幸せを考えるのが一番じゃないのかな?

会社を辞めたいと思う人の割合100%

全員がやめたいと思っている。僕が立ち向かった上司は二人いる。その二人のやり方に違和感を感じてやめていった人の話は、入社して半年の僕にさえも片手いっぱいに数えれるほど知っている。つまり、「やめた人たちがいると言うのは、最近の話だ」ということ。全くやり方が変わってきていないということ。何の反省もしていないということ。

もう職員たちは限界でした。僕が辞めることを上の上司に伝える前日、僕が一緒に働いていた現場主義の信頼できる上司もまた「やめよっか」とみんな同意していました。

それぞれの家庭環境もあるので「すぐに辞める」という選択はできないようでしたが、「年度末までには辞める」という選択をするようです。僕は「いちぬけぴ」です。

3年後 → 年度末 → 辞めるなら今

もともと3年ほど働くつもりで入りましたが、入社から3ヶ月後に減給&異動を経て、「1年働いてやめよう」と決めました。が、その3ヶ月後には「謎の社会貢献活動」に耐えられず、退職を決意。

正直、現場での話は、文章には書ききれません。ここに書いていること以上の苦痛があの現場にはありました。

「利用者さんのことを置いていくのか?」そんな声もありましたが、年度末で辞めるにしても今辞めるにしても、どのみち置いていくことになる。それもまた変な話で、もともとみんながいたところに僕が入ったわけだから、むしろ、何も変わらない日々に戻るだけなんじゃないかって思ったら、それについて何の後ろめたさもありませんでした。

そんなことよりも、僕は僕の人生を取り戻すことの方が大切でした。

退職を伝えて退職届をだす

信頼できる現場主義の上司に辞めることを伝えました。「あなたの人生、あなたの決断、気持ちもわかるから。」そういって応援してくれました。次に、一番上の二人に伝えました。彼らは何も言いませんでした。むしろ、ちょっといいですか?といって座って話し始めようとする前に「退職?」といって聞いてきました。それを感じさせるほど、僕は彼らに反抗していましたから仕方ないとも思うし、何より、彼らの経営事情を考えれば僕が抜けることによって支出が減ることは助かることなのだろうとも思いました。僕の給料はさほど良いものではありませんでしたが、それを欲するほど、経営難だということは、本人たちが打ち明けているのだから、もうどうしようもありません。

退職届を出しました。

残日数を過ごす

残りの仕事をする

現場での作業には一つとして手を抜くことはありませんでした。利用者さんたちとも関係よく過ごすことができて、適度な距離で支援ができていたと思います。もちろん失敗もありましたが。事務作業についても、丁寧で細かい作業を心がけました。僕が退職してからも、しばらくの記録作業が楽になるような工夫もして、上司に申し送りしておきました。

有給休暇を取得して自由な時間を過ごす

現在は有給休暇中です。(=20日付で退職です)働きはじめて半年がたっていたので、ちゃんと有給休暇を昇華しました。権利なので、利用しない手はありませんから!

有給休暇中は、家の片付けをしたり、米の脱穀のお手伝いしたり、カフェでご飯したり、トリエンナーレの表現の不自由展・その後の抽選に当たっちゃったり、友達を泣かせてしまったり、感情も気持ちも爆発しちゃったりしてる。そして、今この記事を書いている。画面の半分は「ナスDの大冒険YouTube版」を流している。最高に面白い。世界は広い。というか、この人面白い。こんな風になりたい笑

明日、もう一度職場に行こうと思っていたけど、やめた。過去のことに時間を使うのはもったいない。明日もワークアウトして、火の呼吸して、海をみて歌って、踊ろう。

あ、しばらくはお金のこと心配してないけど、人とのつながりあって、偶然にも仕事先は2つ確保できてるから仕事したいときは安心ね。ラブみんな。

まちづくり拠点のお留守番と、学童の子どもたちと遊ぶこと。

明日、空いてる日をまとめて、メール出そっかなー!

そして退職、最後の給与は25日に入る

20日に退職で、25日に給与入る予定!やったね。そういえば給与明細の控除欄の「その他」って項目でなぜか給与から引かれてるものがあるから、それだけは経理の人に聞いておこう。

でも、給料が入ったら、とりあえず50万円の貯蓄完了!7ヶ月で50万の貯蓄かあ、ぎりぎりだね笑 嬉しいね笑

でも、よくそれで年度末までの家賃とかトルコ&北海道旅行代とか横浜&東京旅行のお金も捻出できたね笑

どんな生活をしていたのやら。

これから何をするか

これは全く決まっていません。

ただ、やりたいと思うことも、やりたいと思っていたのに忘れていたことも、やりたいと思っていたのにやってこなかったことも、自分がありのままでありたいということも、きっとこれから取り戻してゆくべきものなのだろうなあと思っています。

最後に、僕の作った歌の歌詞をのせて終わります。

 

youtu.be

遠回りしたら
ただ遠回りをしただけ
 
近道をしたあの人の
背中を今も眺めている
 
あの時 選んだ道
間違っていたんかな
あともう少しで終わるから
今更 後悔なんてしないぞ
 
前を向いて ただ前を向いて
時には後ろを前にして進もう
どうしても日々はついている
どんな人の命にも
 
あの時 選んだ道
間違ってなんかない
あともう少しで終わるから
今更だけど前に進みゆくよ
 
前を向いて ただ前を向いて
時には後ろを前にして進もう
どうしても日々はついている
どんな人の命にも
 
限りある時間の中で
僕らは生きている
 
 
 
ミニレゾ