脱穀するために。
2019.10.6
人生ではじめて、脱穀作業をお手伝いした。
米をつくるというのは相当な力がいる。
昔は士農工商と言っていたように、農民の地位はとても高い位置にあった。
それほどまでに労力を要することであり、
人が生きていくことには何よりも欠かせないものだということが
よくわかっていたからに違いない。
僕が手伝い始める時には、稲はすでに乾燥された状態。
乾燥するまでに稲刈りをして、
鉄の棒や木や竹を組んで紐で結んで固定したものに
刈った稲をかけて干していた。
稲を刈るのも大変。
刈った稲を干すために組み台を作るのも大変。
刈った稲を干すのも大変。
干した稲から脱穀するのも大変。
脱穀した後の米俵を持って運ぶのも大変。
稲を干していた組み木を崩して運ぶのも大変。
そういうことを知っているのと
知っていないのでは
米を食べることの喜びは全然ちがう。
ご飯はでてきて当たり前じゃない。
お金で買えてあたり前じゃない。
ご飯は用意できてあたり前じゃない。
作っている人がいるんだよ。
作っている人たちがいるんだよ。
ぼくは今それを食べさせてもらっている。
ポイントだのなんだのという世の中で、お金でしか価値がはかれない世の中になりつつあるけれど、本当に大切なのは、その労苦や想いを想像して、共感するってことなんだよ。いや、想像なんかじゃわからない、経験こそが生き様。
ぼくは、どう生きていくだろう。
経験こそが生き様。
そんな偉そうなこといって、何もできないちっぽけな存在。
ちっぽけな存在。
なんともネガティブな表現にも思われるけれど、
ミニレゾというこの名前。
「この小さな体でもきっと何かを誰かと共振できるんじゃないか」
そんな願いを込めてつけた名前。
ちっぽけな存在で、小さな自分なんてことは、
昔からわかってたことさ。
そんなことを知っている上で、それでも何かを伝えたいと思った。
その時、ミニレゾは生まれた。
ミニレゾの生き様は、そこにある。
どんなにちっぽけな存在でも、
その存在がある限り、存在する価値や意味はあるんだ。
いてもいいんだ。
そんな自分の生き様を語れる人でありたい。
それにはまだまだ程遠いけれど、
それでいい。
僕は生きている。
感謝しながら生きている。
感謝することを忘れずにいることができる。
他のことは忘れちゃうけど笑
飯が食えてありがてえ。
お金があってありがてえ。
仕事ができてありがてえ。
いろんなところに行けてありがてえ。
健康な体があってありがてえ。
誇れる家族がいてありがてえ。
友達が一人でもいてありがてえ。
大切なパートナーがいてありがてえ。
やりたいことがやれてありがてえ。
走れてありがてえ。
歩けてありがてえ。
歌えてありがてえ。
愛せてありがてえ。
友達と喧嘩できてありがてえ。
その分ちゃんと自分の本音を表現できてありがてえ。
もう、全部ありがてえ。
感謝だ、ほんと。
おしりん、かぞく!!
みんなありがとう!!!!!
ミニレゾ