ミニレゾのミカタ

『ニートのいずみくん』の日記的なログ

【9.11】2001年に起きた9月11日の悲劇。95年という最悪の年に生まれたミニレゾは9.11を振り返る(3)

場所は、アメリカ。

これは、なんの変哲もない朝に起きた事件の話である。

ハイジャック

オサマ=ビンラディンという、その男が首謀者らしい。その男が率いていた人たちが、4機の航空機をハイジャックした。そのうち2機はワールドトレードセンターの北棟と南棟にそれぞれ突入した。もう1機は国防総省ペンタゴンに突入した。さらにあと1機はアメリカ合衆国国会議事堂を標的に定めていたようだが、その240km手前、ペンシルベニア州ピッツバーグ郊外シャンクスヴィルの地上に高速で衝突。原型を留めることはなかった。

機内にいた人で、生存者はいなかった。

日常が一変

日常は日常のまますぎようとするのが、常。1機目がワールドトレードセンターに突入したとき。それは単なる事後であり「操縦者のミスではないか」という判断がくだされようとしていた。しかし、その後まもなくして2機目がワールドトレードセンターに突入。

これが「テロリズムだ」と、誰もが理解した。9.11の映像として公開されるものは、2機目が突入した際のものが多い。1機目のことを事故として取り上げようとしていたカメラマンがいた。火災現場を映すように、交通事故現場を映すようにやってきたはずなのに。映ったのは、まさにテロリズムのその瞬間であった、ということかもしれない。

全ての人の日常が一変してしまった。

1機目がビルに突入したため、急いで逃げようとエレベーターを待っていた人たちが2機目の突入によって命を落とした。

きっと朝はスターバックスコーヒーでグランデを買ってサンドウィッチを食べたことだろう。セントラルパークを歩いて、ベンチに座って少しだけ本を読んだかもしれない。

くだらないことで喧嘩をしたかもしれないし、明日謝ろうって思っていたかもしれない。今日、ちゃんと愛していると伝えようとしていたかもしれない。

明日も続くと信じきっているのが日常というものだ。常ならずといえども、日が常なのが日常。それは、衝撃の後に目を開けた途端、消え去っていた。

ビル崩壊、消えた灯火

2機の航空機が突入したことによって、ワールドトレードセンターは建物としてシャキーンと立っていられなくなった。突入した際に起きた熱やビル内にあるものへの発火によって骨格に大きな損傷が生まれ倒壊したとも言われています。

ビルは崩れ落ち、あたりは黒煙の渦に飲み込まれていきました。

包み隠されるように、そこには消えていった灯火があります。航空機のなかにいた人、ビル内にいた人、ビル周辺の路上にいた人、彼らの鼓動はもう打つことはありません。

第2次世界大戦中に日本人が自らの死を選び飛んだ「バンザイクリフ」を想起させるかのように、ビルの中にいた数名は逃げ場を失い、空へと跳んだ。

立ち向かう意志 Let's Roll

ハイジャックされたという情報を機内電話によって得た4機目の乗客たちは、ハイジャック犯に立ち向かうため、立ち上がったという。乗客たちがハイジャッカーたちに反撃する際に出した合図。

Let's Roll!さあ、やろうぜ。

彼らは、生きるために立ち上がった。心から賞賛を送りたい。そして、心から弔いたい。

正義のツラした Let's Roll

このLet's Rollという言葉は、9.11以降、アフガニスタン戦争はじめテロリズムに対する「報復戦争」におけるスローガンの一種としても使われた。

生きるための覚悟の言葉が、報復という悪意を孕んだ言葉に上書きされてしまった。

本当の意味とは、いったい。

1946-2001 ピース 対 テロリズム

1946年、戦争は終わった。それから55年が経った2001年9月11日に同時多発的にテロ行為が実行された。これを機に、世界では反テロリズムの思想を強く推進した。

アフガニスタン戦争、イラク戦争があった。

イスラム国が反旗を翻した。

テロリズムの恐怖を教えられた。平和の敵がテロだと教えられた。平和の敵は戦争だと教えられた。

僕たちはそんな対立構造・対立思想のなかにポツリと置き去りにされている。その中で生かされている。

55年という期間こそがきっと、人に変化を求めていた。次の変化に備えよと問うていた。しかし、それに気づくことができなかった。今もなお。

 

平和に生きる日常が消える日がくるかもしれない。

平和という日常が終わるかもしれない。

いつくるともわからない人為的テロリズムや自然災害というテロリズムに怯えながら平和を生きている。平和というのは、どこか忘却の中にあるような気もしてくる。

 

 

 

 

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