ミニレゾのミカタ

『ニートのいずみくん』の日記的なログ

親戚と呑むと自分のルーツを知れる。

親戚付き合いはめんどくさいというのは、よくある話かもしれない。我が家でも、お墓のこととか土地や遺産の相続の話とかいろんなことの話があがる。ついでといってはなんだけど、自然に結婚の話にもなる。親戚って、普段の関わりがないわりに、お互いのプライベートに踏み込めるほどの関係の距離感をもってる。親戚って、実はとても付き合い方が難しいと思う。

 

今日は、少し前に親戚が他界したことをきっかけにして、親戚一同が集まる機会があった。

 

僕は普段から自分から自分のことを話すことはあまりなくて他人の話を聞くことに徹するタイプの人だから、相手がたまに会う人となると、なかなか自分から話しかけることを難しくて黙々としてしまう…黙々とご飯を食べて過ごしてた。

 

そしたら、おじさんが「お前は本当に特別なんだ」と言いはじめた。そして、ずーっとひたすら僕がどんな思いの中で育てられてきたのかを淡々と話始めた。

 

僕が生まれてから、今生きていることの奇跡に対して「俺は涙がでるよ」と言ってくれた。

 

大切なことは言葉にならない。

 

僕はとても大切なひと時を生きている。そのことの美しき奇跡をただ受け入れている。

 

でも、アルコールが悪いほうに働いて、嫌な言葉もあった。でも「僕には愛する人がいるから、そういうことは必要ないよ。今、愛している人を大切にしたいから。そして、結婚ということに固執してはいないよ。だって、それは僕だけの話ではなくて相手もある話で、他にもいろんなことがあるから。」そんなことも伝えた。

 

親戚は、僕がアルコールを飲めること、生きていることに対して大人になったねというけれど、さっきみたいなことを伝えられたことに僕も大人になったんだなと僕は思う。

 

今日は、ひさびさに親戚で集まれてよかった。僕が大きくなったこと、愛する人がいることの喜びを改めて確かめることができて良かった。

 

お経を読んで、その後に尼さんが持って来てくれた小冊子を読んだら、こんなことが書いてあった。

 

「人生で大切なのは、どれだけ生きるかではなく、どんな人生を生きるかが大切。つまり、ただ長く生きることより、ただ一つでも仏様が喜んでくださるような生き方をしてゆくことが大切です。」

 

僕たちが生きていられるのは、寝ている間も動いている心臓があるからで。夜を明かす太陽があって、その光を感じられるからで。ちゃんと夜が訪れるからで。

 

僕が生きていることの当たり前がこれから先何年続くつもりで生きてゆくか。その問いに応える生き方をするなら、僕は長生きすることを望んだりしない。

 

親戚たちは、言葉を選ばずに言えば、昔の人。これから先の人生の語り手ではない。僕は改めて、僕の人生を生きていきたいと思った。