ミニレゾのミカタ

『ニートのいずみくん』の日記的なログ

待ち合わせの前にA

じんわりと体表から透明な鱗を纏うようにして、じっとりと汗ばむ。風通りはとても少なくて、循環しない。湿気は異常なまでに滞留して、全てのモノをのみこんで、胞子の成長を早める。そろそろ家の中に苔が生えてくるか菌類がアンブレラ型に姿をあらわす日も近いかもしれない。住めば都というが、都が体に合わない場合のことわざがあってもいいのではないだろうか。今の世の中、都=豊かな暮らしの象徴ではないのだ。

 

そんな海辺の一軒家から、そんなじっとりとした環境から脱するように、横浜まで来たというのに、なんだこれは。

 

湾があるじゃないか。ここもまたじっとりとした空気のある街だった。

 

僕が横浜に訪れたことは、以前に一度だけある。その時は陸路ではなく海路。2016年に一度だけ、ピースボートという船に乗っていた時に来た。次のクルーズの出航を見送ったこともある。美しいハーバーにみとれた。何より、あの花束は、今も胸の中に大切に残してある。決して忘れられない記憶がここにはある。

 

そんなこんなで、陸路でくるのは初めてのことで。みなとみらいの景色はテラスハウスでてっちゃんが告白して振られてたから覚えてはいたけれど、まさかこんなにビルが建ち並ぶ都会だったとは。

 

バスを降りて、右見てもビル左見てもビル。上見たら空は狭くて、視界の全てに高速道路がうつりこむ。何という場所に来たのだろうと思いつつ、とりあえず、同じバスに乗っていた人たちにひょこひょこついて行って駅に到着。その道中、道路表示の看板のうらにとてもエネルギッシュな路上アートを発見。横浜駅に着くも、いたるところに「空き缶」「空き瓶」「ゴミ袋」「寝ている人」「卑猥なステッカー」などというモニュメントが盛大に飾られていた。

 

早くに着いてしまったから店も開いてないし、ひとり、ここで待つのも退屈だったので、お散歩をすることにした。

 

どうやら昨日は花火大会があったらしいく、公園のデッキは閉鎖されていた。けれど、その中に人がいた。どうやら釣りをしているらしい。たまの息抜きなのだろう、思う存分、楽しんでくれたら幸いである。魚の次は犬だ。この公園は犬愛好家の人たちの憩いの場のようで、散歩しているのか、されているのか、とにかくみんな犬とともに歩いている。歩いてるのか、歩かされているのか。そして、その全ての人に共通して、事をなした後の始末グッズを片手に持っている。いろんな人生があるが、やはり、トルコで出会ったラモンと人々のように、互いに解放された姿で悠々といられる関係が素敵だなと思う。

 

みんな、どこか面倒くさそうに見えた。

 

そうはいうものの、都会の中でこれだけ適度に自然な姿を見ることができるのは、素晴らしいなあと思う。公園にこうしてこれだけの人が集まるのも、ここに心地よさを感じているからだし、なにより欠かせない場所なのだということが分かる。また、水辺から吹くやわらかい風に、僕は眠気に誘われている。心地よい。都会的でありながら自然が共存しているし、それに色んなミュージアムや国籍、文化、カルチャーが混在していることにも魅力がある。それだけ混在していれば、都会のあの隙間のないほどの混沌具合も納得できる気がする。

 

横浜中華街にも行く予定がある。色んな文化を楽しみたいなあ。さて、そろそろお店があるかな。何か朝食でも頂こうかしら。

 

素敵な喫茶店があると良いのだけれど。